nunkoikeの日記

32週で第一子を死産

退院

昨日と同じく朝7:30頃朝食が運ばれて目が覚めました。

「おはよう」と息子のお顔を覗くと、唇が真っ赤になってまるで赤いリップをつけているようなキレイな唇になってました。

後陣痛が2〜3回くらい動けないの痛みのときがありましたが後陣痛自体が少ない?のか全然平気でした。

お股は昨日と変わらず普通に座ると痛いです。それ以外は貧血もなく元気でした。

 

9:30頃診察室に呼ばれ子宮と悪露の状態を診てくれたのかな?特に問題なく私はこのまま退院となりました。

先生からは原因は不明でへその緒を検査に出していますが原因がわかることのほうが少ないです。産後の状態を確認するので2週間後また来て下さい。とのことでした。

 

私の病院では?地域では?火葬まで選択肢が2つありました。

①病院で火葬場を手配する。この場合息子は連れて帰れません。

②自分たちで火葬場を手配する。この場合息子家に連れて帰れます。

もちろん即答で②を選択しました。朝からバタバタで火葬の予約を取りました。

息子を連れて帰るには「死胎火葬許可証」が必要です。この許可証なく死体を運ぶのは法律違反だそうです。

私は出産直後ということもあり、息子と病院で待ってたら?と言われましたが

できることは夫婦で一緒にやりたい!という思いから一旦息子を病院に預けて旦那と2人、市役所に行くことにしました。

「良い子にお留守番しててね。すぐ帰ってくるからね」というと「すぐ帰ってきてね」と言っているような気がしました。少しの別れも惜しい。

 

市役所へ行き死胎火葬許可証をもらい火葬の手続きも終わりついに親子3人退院です。

入院費については、高い病院なので出産育児一時金からはみ出る予定でしたがなんと42万円ピッタリでした。旦那の布団を借りたのでその分は保険が効かないので実費でしたが。42万円ピッタリなのはもしかして病院側の配慮?と思いましたが真相はわかりません。

 

火葬日は2日後の2020.9.27の朝一に決まりました。

この日は台風が近づいていたこともあり土砂降りでした。

初めてみた空が土砂降りだなんて…青空を見せたかったな…。

 

入院中泣かなかった私ですが、小さな箱に入った息子を抱え病院の外にでると涙が溢れました。

普通だったらセレモニードレスを着た息子を抱っこしパタパタと手足を動かし幸せいっぱい退院していくんだろうなと思うとどうしても寂しくなります。

病院の中では感じなかった死産という「現実」を改めて突きつけられたような気がしました。

笑顔で退院しようと思っていたので涙が溢れてしまったことは今でも少し後悔。

 

自宅へ帰り息子と3人で過ごす予定だった部屋のエアコンをマックス下げこの日はゆっくり過ごしました。

 

 

 

まだ息子がお腹の中で元気に動き回っているころ旦那に聞いたことを思い出しました。

「もし出産で私と息子どちらかしか助けられませんってなった場合どうする?」

「う〜ん。息子には申し訳ないけど母体を助けてって言うかな。両方助かるのがいいに決まってるけど」

「私も同じこと思ってた。意見が同じでちょっとうれしい。旦那が1人悲しい思いをして子育てをしている姿を思うと辛すぎる。私が生きてさえいればお互い支えあえるし次の子供だって考えられる。」

 

私自身長生きしたいとは違うのですが、家族や旦那を看取りたいという願望があります。私が死んだことにより他人を悲しませたくない。悲しませるくらいなら私がその悲しみを背負いたい。2月に愛犬が亡くなり誰かがいなくなるってこんなに辛いことかと体験してからそう思うようになりました。

 

息子が亡くなってしまったことを最悪な事態になってしまったなと思ってましたが

最も悪ではなかったです。私は生きています。

息子が亡くなったことで家族を悲しませてしまっていますが、私がみんなを悲しませた分、私が励ましてあげることができます。

 

今回の件で自分を責めたり、この時ああしておけばとやってしまったことへの後悔などはするつもりはありません。

私が明るく前を向いていればきっとみんな元気になってくれるよなと信じています。

入院2日目-出産③-

2020年9月24日14:00 身長45.0cm体重1906gの長男を出産しました。

陣痛促進剤を入れてから4時間30分スピード出産です。 

 

感動で泣いている旦那からは

「すごいよ!頑張った!偉かったね!!」と何度も何度も褒めてもらいました。

 

しばらくすると保育器??を引いた看護師さんが戻ってきました。

保育器の中を覗くと真っ白なベビードレスと帽子をかぶった息子が眠っていました。

「かわいい!!!!!!!!!パパそっくり!!!口から鼻のラインなんてパパそのものじゃん!!!私要素が皆無だね!!パパそっくり!!!」

エコーのときから口がパパ似だねって話していたのですが想像を超えたパパ似でした。

 

「かわいいパパ似だね!皮膚が柔らかすぎて手足型うまく取れなかったけど頑張ってみました。あと抱っこも厳しいかな〜〜。ママ母乳でるか試して見よう!母乳は胎盤でたらすぐ出るからね。」

うまく手足型取れなかったと言っていますがとってもキレイに残してもらえました。

出産直後ですが助産師さんに母乳を絞ってもらうとピューーっと勢いよく出てくれたのでコットンに母乳を含ませて息子の口元へ運んでくれました。

 

そして看護師さんが息子を小さな小さな箱へ入れてくれました。

小さな箱の下には保冷剤が敷いてあり、中には別の看護師さんの子供が作ってくれた小さな小さな折り紙をたくさん入れてくれました。

 

実は子供が苦手な私ですが、自分の子供ってこんなに愛おしく思えるんですね。こんなに小さくてもちゃんと人間の赤ちゃんになってるんですよね。そして大好きな旦那の顔にそっくりときたら愛さざるを得ません。私は幸せだなとしみじみ感じました。

 

2時間ほど分娩室で休憩した後、

出血量も悪露の状態も問題なかったため息子と共に部屋へ移動。

息子のため部屋は冷房マックスまで下げて激寒です。

寒さなんて気にならないくらい息子に会えた喜びが大きく、夢だった親子3人川の字で寝転んだり、写真を撮ったり、優しくほっぺをツンツンしたり幸せな時間を楽しみました。

その日の夜ご飯は祝い膳としてちらし寿司が出てきました。出産前は死産の場合でも祝い膳ってでてくるのかな?祝じゃないよな?おかしいよな?と思ってましたが

たとえ死産だとしても出産は出産。ここまで頑張って育ってくれた息子に会えたのだから「お祝い」に間違いはありません。

この9ヶ月は3人で頑張ってきたんです。親子3人仲良くちらし寿司を食べました。

 

昨日から私達3人をお世話して、たくさん話をしてくれ、励ましてくれた助産師さんはここで夜勤の方と交代となりました。本当に良い方でこの人が息子を取り上げてくれてよかったと心から感謝しています。

産まれた息子をかわいいかわいいと何度も言ってくれ、キレイにしてドレスを着せてもらい、息子とやりたいことを最大限叶えてくれ、明るく楽しい出産としてくれたのはこの助産師さんのおかげかなと思います。入院中はずっと笑っていられました。

 

夜になると副作用の熱もほぼ下がって悪露の状態もいいので明日退院できそうとのこと。後陣痛は時々痛む程度。お股は裂けてないですがトイレの際は滲みて痛いのと座ると痛いのでうまく座れなかったです。痔の人の気持ちめっちゃわかるわ〜〜

 

0時頃息子の下に敷いてある保冷剤を交換してもらい

大好きな旦那と大好きな息子と3人めちゃくちゃ寒い部屋で仲良く寝ました。

 

入院2日目-出産②-

12:30頃先生が診察にきてくれました。

子宮口は先生が広げて3cmとのこと。こんなに痛いのに陣痛促進剤2個目挿入。

 

陣痛間隔変わらず痛みはさらにパワーアップ。

息を吐くだけでは耐えられず、う~~~う~~~唸り声を上げるレベル。

もう耐えられる痛みじゃない!!って心の中で根を上げるけど痛みは待ってくれない。

何かをなぐりたくなるけど、それで痛みを分散できるわけもなく満身創痍です。

白目剥いてたそうです。

もう出産とか一生やりたくないって思うくらいしんどいです。

 

多分13:30頃もう限界と思いナースコールを押してもらう。

助産師さんが子宮口をチェック。

子宮口は3cm破水はまだだね~~~分娩準備しようか~~~と分娩室の外にでて準備を始める。

えっさっきと子宮口変わってないの???しかも変わってないのに分娩準備始めるのって絶望しながら考えてたことを覚えています。

 

助産師さんがいない間についに感じました。

あっこれレポでよく見る「いきみたい」ってやつ!!!

助産師さんが戻ってきて驚き!急いで先生を呼んでいました。

先生が確認をすると「えっ破水いつしたのかな??まだ促進剤2錠だよね?」と気づかないうちに破水してて驚いてました。私も驚きました。

 

そうこうしている間にも陣痛は休みなくやってきます。

力をぬいて。目をあけて。こっち見て。と言われますが無理なんです。どう頑張ってもいきんでしまうんです。気力で目を開き、いきまない努力はしました。

34回そんなやり取りをした後、

びちゃと股から液体が飛び散り旦那・助産師さん・先生みんなに飛び散り私は思わずブフッと笑ってました。多分羊水ですね。

そしてついに頭がでました。

次の陣痛で多分肩が出ようとしているらへんで止まったのだろうと思います。

股が裂ける痛みで痛い!と言ってしまいました。

言わないと決めてた「痛い。」ここで出ちゃいました。

「痛いね。痛いね。でも上手だよ。もうでてくるよ。力抜いてね。」と褒めてくれます。

「今赤ちゃんね。お母さんの身体考えて身体伸ばして出やすくしてくれてるよ。」

亡くなった赤ちゃんでもそんなことしてくれるの???と驚きましたが親孝行な息子に感謝しました。

 

14時ぴったりドゥルルルルルルルルルルルルルルルと流れるように息子は出てきてくれました。息子はすぐにキレイにしてくるからねと連れて行かれました。

胎盤もこの後すぐに ドゥルルルルルルルルルルルルルルルと出ました。

出る感覚すっごく気持ち悪かったです。

あんなに痛かった陣痛も息子がでた瞬間から痛みはなくなりました。

 

 

胎盤処理をした後、熱を測ったら38.9℃尋常ないくらいの寒さを感じてましたが、だるくはなかったです。

驚いたのが股は裂けていませんでした。肩で詰まったあたりで股は裂けたと思ってましたがなんと傷もなく、出血量も少なくいい出産でした。

 

旦那について

頭が出たあたりから、ほとんど泣かなかった旦那は感動で泣いてました。

子宮内胎児死亡宣告され二人で病院のベッドで泣いた後旦那の涙はみていなかったので驚きました。出産の感動涙以降、旦那は泣くことはなかったので本当に強い人です。

旦那のサポートが完璧でした。

休みなく息を吐き続けてるので喉と唇が乾きまくる。

絶妙なタイミングでお茶とリップを差し出してくれて本当にありがたかったです。

産後旦那が何もできずにごめんねと言ってましたが全然そんなことはありません。

そばにいてくれるだけで心強かったし、手を握ってくれたし、手を殴らせてくれたし、お茶とリップを差し出してくれたし、これ以上何を望めばいいのか。

もし逆の立場だったとして私もソワソワして心配することしかできないだろうなと。

精一杯できることをしてくれた旦那に最大限のありがとうを伝えました。

 

ちなみになるべく痛いとか、叫ぶとかはしないようにしてたのですが

3回くらい痛い、死ぬ、無理って言ってたみたいです。本当に記憶にない。

 

先生も助産師さんもみんなとにかく優しい言葉をかけてくれるのが

嬉しくて心強くて本当にいい病院で出産することができました。

陣痛を耐えてる最中はもう出産なんてしたくないと思ってましたが産んだ直後から

また絶対赤ちゃんを産みたいと思えました。

 

 

次回息子とご対面です。

入院2日目-出産①-

朝7:30頃朝食が運ばれて目が覚めました。

グッスリ寝れました。

宣告後から今日までしっかり毎日寝れていたので今日の出産は万全な状態だ!!と意気込んでいました。母は強しです。

食欲はあまりなく2割くらい食べ残りは旦那に食べてもらいました。

 

9:30頃診察に呼ばれ前日に入れたラミナリア桿を抜き陣痛促進剤を膣内に入れました。

私の場合抜く時も全く痛くなかったです。先生が上手だったのかな?

ちなみに昨日の寝る前まで続いた生理痛のような痛みも今朝起きてからは感じませんでした。

陣痛促進剤は3時間に1回膣内に入れていきます。1日に最大5回まで入れるそうです。

2回入れたら陣痛が始まるかもしれませんと説明を受けました。

が促進剤を入れたすぐから軽めの生理痛のような痛みが始まりました。

 

10:00頃入院部屋から分娩室へ移動しました。少し気持ち悪いなと思い始めました。

まだ出てこないと踏んでいたので旦那に入院の荷物を持ってきてもらうため一度自宅へ帰ってもらうことに。

 

10:30頃一人残った分娩室で歯がガチガチ震えるほど寒くて、心細くて、部屋の隅のソファでうずくまって重めの生理痛を耐えていました。

自分では気づいていませんでしたが、この時には熱が上がっていました。

促進剤の副作用で熱が出る場合があると予め説明があったのですが本当に出るとは思ってなかったです。

 

11:00頃旦那分娩室へ到着。しんどいですがまだまだ喋れます。

が吐き気はピークに、朝食べたものを全部戻しました。

旦那はすぐ横で手を握ってくれ「僕がそばにいるからね」「一緒にがんばろうね」とたくさん話しかけてくれました。

 

12:00頃分娩台へ移動。

助産師さんにお腹が張るのが陣痛だからねと言われここでこの痛みが陣痛なのだと知りました。

そもそも促進剤がこんなにすぐ効くとは思ってなくて、2回目入れたら陣痛始まると思ってて、この痛みが陣痛とは思っていませんでした。

分娩台に移動してからは痛みがどんどん強くなり

この辺からはもう時間とか、わからずひたすら陣痛に耐えてました。

レポでよく見る陣痛とはかけ離れていました。

徐々に痛みが強くなって、痛みの間隔も短くなってくと思ってましたが

私の場合、陣痛間隔は最初から20〜30秒くらい。息をフ〜〜〜〜〜っとゆっくり声に出すくらいで痛みを堪えられるレベル。

 

助産師さんに痛みの間隔が短くなったらナースコール押してくださいと言われるも

20〜30秒でこれ以上短くなるの????ひえ〜〜〜〜〜って思ってました。

この辺でお昼ごはんが運ばれてくるも見もせず旦那に食べてもらいました。

先程吐いてしまったこともあり点滴をつけてもらいました。

 

陣痛間隔20〜30秒くらいは変わらず痛みはどんどん強くなります。

息をフッフッフッフッフッフッと細かく出さないと痛みに耐えられなくなるレベル。

旦那がずっと手を握ってくれていたのですが

痛すぎて痛すぎて息を吐くのと合わせて旦那の手をバチバチ叩いてました。

旦那が叩かれながらいいパンチだと言って笑わせてくるのですが余裕はなかったです。

 

 

長くなるので次回に持ち越します。

入院1日目

子宮内胎児死亡宣告の翌日は祝日だったため9/23に入院となりました。

ちなみに子宮内胎児死亡宣告当日先生から

赤ちゃんがお腹にいる状態で胎盤が剥がれてしまう「胎盤剥離」の可能性があります。

胎盤が剥がれてしまうと大出血してお母さんの命が危険です。

医者としてこのまま入院してもらったほうが安心ですが、精神的には自宅に帰る方がいいと思いますがどうしますかと。

心配ではありましたがこのまま一人で入院して頑張れる自信がなかったので

何かあればすぐに病院に来るという条件付きで帰るという選択をしました。

 

 

急な入院とはなりましたが入院準備は早めにやっていたため最低限必要なものは揃っていました。

この時持参したものは

・産褥パンツ4枚

・授乳用ブラ2枚

・前開きパジャマ1枚

・パジャマ1枚

・セレモニードレス

・悪露用ナプキンMサイズ1パック

・ペットボトルのお茶

・キャップ付きストロー

・スキンケアセット

・シャンプーリンス

 

助産師さんの配慮で入院病棟とは別階の部屋を用意してもらい旦那と二人入院できることになりました。

赤ちゃんの声が聞こえたら精神的に辛いからねと。

このときの助産師さんが本当に良い方でいろんな話をしてくれたし話を聞いてくれました。

泣くことは悪いことじゃないし

悲しいときは二人で泣いて励ましあえばいいんだよと。

赤ちゃんはママ・パパに乗り越えられない試練は与えないよと。

 

私が一番うれしかった助産師さんの言葉は

「こういう時パパは我慢しがちだから、我慢せず泣きなさい。」

パパへの配慮の言葉でした。

両親や看護師さん、先生からは実際に出産するママへ心配する言葉はたくさんもらってきたのですがパパへの言葉って実は少なくて。

実際にこの3日間私は泣きっぱなしだったのですが、泣くたび旦那は優しい言葉をかけてくれたり、泣いていたら息子が心配するから僕はもう泣かないよと言っていました。

きっと私を支えなきゃと思って無理をしていたと思います。

もしこれから出産を控えている方がいましたら

パパへ「一緒に頑張ろう」と励ましパパの不安もぜひ聞いてみてあげてください。

出産って一人でできるものではなくパパとママ協力して出産するものなんだと

2人で出産頑張ろうと強くなれた言葉でもありました。

 

旦那は本当によく頑張ってくれていましたが入院してからは旦那のほうが不安がっていました。

私に何かあったらどうしよう。私が痛がってる姿を見るのが辛いな。出産めっちゃ痛いんだよ?大丈夫?怖くない?などなど

私自身痛みには強い方かな?と思っていたので出産に対しての不安は全くありませんでしたが心配されるのは嬉しくて出産が少し楽しみになりました。

 

 

この日は11時頃入院して15時くらいに診察に呼ばれました。

ラミナリア桿という昆布でできた棒を膣内にいれ子宮口を広げる処置のみ。

ラミナリア桿入れるのが相当痛いという体験談をたくさん見ていたので覚悟してましたが私は入れるのは全く痛くなかったです。何本入れたかは教えてくれなかったのでわかりません。

が入れてからはすぐに生理痛のような鈍痛がはじまり寝るまで痛かったです。

痛みで寝れないなと思ってたんですが0時頃コロッと寝てました。

両親への報告

落ち着くまでいていいよと病院側の配慮もあり

約1時間ほどベッドで休ませてもらいました。

 


2人で相談し両親への報告は早いほうが良いと

まずは私の両親へ報告に行きました。

私自身で報告したいという気持ちはあったのですが

うまく喋れる自信がなく「僕が話そうか?」と言ってくれたこともあり

旦那に頼むことにしました。


父も母も赤ちゃんについて普段から聞いてくることはあまりないのですが、

何も言わずともベビー服やセレモニードレスなど買ってきてくれて

赤ちゃんのことは楽しみにしてくれてるんだなと感じていました。

 

話し終えた後は両親ともそうか…そうか…と泣いており

母は私に、あんまり落ち込まないようにと

旦那には、辛いだろうけど支えてあげてと一言ずつ言ってくれました。

自分自身辛く悲しい中での報告でしたが、

まるで人を裏切ってしまったような喪失感を感じ、

他人を悲しませてしまう辛さを痛感しました。

 

 

旦那に実家にも向かいました。

 

旦那の両親にとっては初孫です。

お高めのベビーカーを買ってもらったり、

妊娠6ヶ月の時にはキレイな目の赤ちゃんが産まれてくるようにと仕事を休んでアワビのオス・メスを食べさせてくれたりしていました。

 

話し終えた後は私の身体の心配をしてくれてました。

義父からは産まれてくる子を一生忘れないであげてくれと言われました。

次の子が産まれても、何年経っても忘れないでと。

義父は息子を大切に思ってくれており嬉しい言葉でした。

 

 

この後旦那の両親にお寿司をおごってもらうことに。

というのも妊娠が発覚してから特に食事に気を使ったりしていなかったのですが、

唯一、生ものだけは食べないようにしており

日頃から出産したら寿司食べたい!と言っていたからです。

旦那の実家へ行く道中、息子がお腹にいる間にお寿司食べよう!と

旦那の両親も誘って今日寿司食べよう!と

ついでにおごってもらったらラッキーだね!と打ち合わせをしていました。

そして旦那の目論見通りになりました。

 

お昼からふたりとも何も食べていなかったのですが

食欲はなくお寿司を食べるのはしんどかったのですが

息子と食べれるならと頑張りました。

もちろん9ヶ月ぶりのお寿司はめちゃくちゃ美味しかった。

息子にも私の大好きなお寿司を食べさせてあげられてよかった。

 

子宮内胎児死亡宣告までの約1週間②

921 子宮内胎児死亡宣告]
この日は祝日で旦那も仕事は休みのため
朝から家で2人ゲームをしながらゴロゴロ過ごしていました。
昼過ぎ頃「あれ?昨日まであんなに激しかった胎動が今日は朝から感じてないぞ?」と気が付きました。
様子見で30分くらいお腹を観察しましたが胎動がない。
お腹を叩いたり、押したり、話しかけたり色々試しましたが胎動がない。

14時頃心配になり病院に電話しました。
するとすぐに病院へ来て下さいと言われ旦那に車で送ってもらいました。
出産レポなど読むのが好きだったので胎動が急に無くなるのは胎児が危険ということは知っていました。
車での移動中大丈夫であってくれ。大丈夫であってくれ。と祈りながらも最悪の場合の覚悟もしていました。
新型コロナの関係で病院内付添禁止のため旦那は駐車場で待機です。

祝日なので病院内は誰一人おらず私のために開けてくれました。
待ち時間はなくすぐに診察室へ案内されました。
今日はいつもの先生ではなく初めてみる先生。
病院についた安心感からか若い優しそうな先生だなとのんきに思っていました。

エコーでお腹を見ました。
私も画面を見ていたのですが、すぐにいつもと違うなと違和感を察しました。
いつもはピコピコと動いている心臓が見えない。
先生もエコーをあれこれ動かしながら「あれ?あれ?」と頭を抱えていました。
なかなか先生が何も言ってくれないので私から言いました。

私「心臓動いてないですか?」

先生「動いてないです。」

ここからは頑張って先生の話を聞こうとするのですが
息が詰まるほど泣いてしまい記憶が曖昧です。
お母さんも赤ちゃんも誰も悪くないよ。自分を責めちゃだめだよって言葉ははっきりとおぼえています。
看護師さんが旦那さんは来てるの?車種わかる?という問いになんとか答え
旦那を診察室まで連れてきてくれました。

旦那にあとから聞いた話、
診察室に入った瞬間私が泣いていたので最悪な事態になったんだなとわかったそうです。
先生から「心臓が動いていません」と言われたとき悲しいとかの前に足が震えたと言っていました。

原因を探るため先生がエコーでもう一回しっかり見てくれました。
がエコーでは何もわかりませんでした。

先生の話を聞かなきゃ息子に申し訳ないと頭ではわかってるんですが
先生の言葉ひとつひとつ聞くたび、感情が高ぶり息が詰まりました。
「息をしっかり吐いて苦しくなっちゃうから」と言われるも
涙の止め方も息の吐き方も何もわからなくて
「あぁーーーーーーー」とわめき過呼吸になりながら泣いたのは大人になって初めてかもしれません。
説明聞かなきゃと思うのにどうしても難しくて
機転を利かせた先生が別の部屋に旦那を案内。先生と旦那だけで話をしてもらいました。

その間に看護師さんが車椅子でベッドのある部屋へ移動させてくれました。
頭も身体もフワフワしてて看護師さんにもたれかかってしまい
もう少ししっかりしなきゃだめだったなと反省。

一人ベッドで無心で寝ていると
先生から説明を聞きおえた旦那がベッドのある部屋まで来てくれました。
「僕がずっと一緒にいるから」「ひとりじゃないよ」「誰も悪くないし、自分を責めちゃだめだよ」って泣きじゃくる私をずっと励ましてくれました。
旦那も同じ思いをしているはずなのに私を強く励ましてくれて本当にありがたかったです。一緒に泣き崩れてもおかしくないこの状況でよく頑張ってくれていました。

普段の旦那は2歳年下なのもあるのか子供っぽいな〜私が支えてあげなきゃな〜と思っていたのですが、
今回の件でこの人と一緒になれてよかった。私は幸せだな。と強く思えました。

しばらくして落ち着き旦那がゆっくり話してくれました。
■32週で赤ちゃんも大きいから陣痛促進剤を使い通常の赤ちゃんを出産するのと同じ経膣分娩になること。
■出産しても死産の理由はわからないことが多いこと。
■32週で死産することは珍しいこと。
■32週まで成長しているので次回の妊娠にはおそらく影響はないこと。
■へその緒が首に巻き付いたり、胎盤の位置が悪かったりそういう異常は見られないこと。
■息子が元気すぎて自分でへその緒を握ってしまい血流を止めてしまったかもしれないこと。
■心臓が止まってからそんなに時間が経っていないこと。



ママとして息子を産んであげられることが嬉しい。
ママとして最後まで頑張るから。

聞き終えた後自信を持って旦那にこう言えた自分を褒めてあげたいです。
生きて産んであげることはできないけど
9ヶ月間私のお腹の中でここまで大きくなってくれた強い息子を産んであげられる。
母乳をあげたり、おむつを替えたり、お風呂に入れたりすることはできないけど
ママの仕事はそれだけじゃない。
へその緒から栄養を渡して、お腹の中で育てて、ストレッチして、話しかけて声をきかせて
すでに仕事いっぱいやらせてもらってた。
パパが仕事から帰ってパパの声を聞くとウニョ〜〜〜ンって動き始めるパパ大好きな息子。ちょっと早すぎたけどパパと息子を合わせてあげられる。

今から息子にやってあげられることは少ないかもしれないけど
最後までママの仕事を全うすることを誓いました。